美人がぐだぐだするブログ

元モデルでしゅ。

拗らせ美人の複雑怪奇なアイデンティティについて

ヒロンです。

 

先日の記事にちょこちょこと反響をいただいたので、

それ含めて思ったことを書きます。

 

まず、一番多かったのは

お前がいじめにあったのは美人なせいではなく、

美人を鼻にかけて人を見下しているからだろ?

とのご指摘です。

 

すごいです。小学生、中学生に向かってよくそんな酷いことが言えると思います。

目の前にいじめられている天然美人小学生がいても

同じことが言えるんでしょうかね?

 

...と、いうことはさておきまして。

 

成人した私の意見ですが、

 

「美人が不美人を見下す」これはもうね美人の

悲しい宿命なんじゃないかなと思うんです。

 

馬鹿みたいなね、

女の武器が美である一定の期間においてのみ機能するようなね、

クソみたいな価値観ですけど。

これを持ってしまうのは宿命なんじゃないかと。

 

物心がつくかつかないかの年齢から、

「チヒロンは可愛いね」「羨ましい」そして、

「可愛いからって調子のんな!!!死ね!!!」と

周りに言われ続ける訳です。

 

美人=価値がある、羨望の対象、いじめの原因

 

この人達が私に嫉妬するのは、私がこの人達には無い価値を

生まれながらにしてもっているから。

「美人には絶対的な価値があるんだ」そう思いますね。

だって子供だもん。

 

自分より美しい女性は自分より価値が高い、

自分より醜い女性は自分より価値が低い。

 

そう思っていることは伝わるんでしょうね。

だから余計にいじめっ子を刺激してしまったのかもしれません。

 

さて、美人を鼻にかけない、美人だっている。

いじめられない美人だっているだろ!

美人以外にお前の人間性に問題がある!

そういう反論が聞こえてきました。

 

まず、美人を鼻にかけない美人。

これはそれはその人がそう見せている、と言えるでしょうね。

要は、賢い、世渡り上手な美人なのです。

 

その人が自分の美に価値があるということを

認識させられないまま社会生活を営めるはずがあるでしょうか?

 

ないでしょうね。親に「ブス」と言われ続けるとか、

幼い頃から芸能界に身を置いてましたとか、くらいしか考えられません。

 

美人のもつ価値を十二分に理解した上で、

ではどう振る舞えば周りと巧くやっていけるのか?

それが解っている賢い人なのだと思います。

 

あたかも、自分のことを美人だなんて思っていませんよ〜という空気を出し

グループに巧く馴染むのも、自己防衛のうちの1つでしょう。

 

わざとドジなところや、だめな所を曝け出して敵を作らないようにする。

これも美人ライフハックのうちの1つでしょう。

 

だってそういうことをすれば

「わあ美人なのに気さくで、ドジで、おっちょこちょいで憎めないね」

となりますからね。要は印象操作です。

 

ちなみに、上の台詞に違和感を感じた方はすばらしいですよ。

先の台詞が成立するためには「美人=憎たらしい」という価値観が

無意識に根付いていることが必須ですから。

 

そういう気遣いが出来ないと、美人は

高飛車、人を見下していると言われます。なにもしなくても。

 

ですから私は大人になってから、

地味に振る舞うというライフハックを採用しています。

自分を華美に飾り立てず、美人カテゴリから逃げるという方法です。

 

気遣い美人になるより、簡単ですね。

 

だから、私はそういう賢い美人を羨ましいと思っています。

巧くやれてすごいと。思っています。

 

稀に、そういうことが自然と出来てしまう至極純粋な美人がいます。

これは私が嫉妬する対象です。

黒々しいものに触れる必要がなかったのだなと。羨ましく思います。

 

 

さて、

「可愛いからって調子のるんじゃねーよ!」と言われたとき

 

「ひどいお!」 

「そんなことないよ◯◯ちゃんの方が可愛いよ♡」

「ブス。ぶっ殺すぞ」

 

ではなくて

 

 

「...?ブスがなんかほざいてる...?」

という反応されたらそりゃ腹が立ったでしょう。

 

見下されていると思ったでしょう。

 

その通り、私は彼女等を見下していました。

ブスだからではなく「つまらない人間」という点においてですが。

 

 

さて、次のご指摘は、

整形美人は天然美人に敵わないとか上から言ってんじゃねえ。です。

 

これは天然美人としてそう言いたくなるクソみたいな性がある、

ということを説明しておきますね。

 

さて、美人に生まれるということは、

美を自分のアイデンティティとして

捉えるということと同一ではないのかなと思っているんです。

 

美人が年をとって、整形にいそしむのも、

「若い頃は綺麗だったの私」と自信を失うのも、

全てはアイデンティティが美に集中してしまっているから。

 

悲しい生き物です。

若さを失うこと、美を失うことに関しては

美人が一番敏感なのではないでしょうか。

容姿=自分の価値であるわけですから。

 

だからこそ、

中途半端な顔の人に美人という単語を使われると

「へー笑 その程度で笑」となります。

容姿とアイデンティティが直結してますから。

 

例えるならば、帰国子女で英語が話せることがアイデンティティの人が

TOEIC満点でドヤる人をみて「へー笑 その程度で笑」

と言いたくなっちゃう感じと一緒です。たぶん。

 

整形する方は、美の価値が解っている頭の良い方だと思います。

戦略的で目的のためなら手段を選ばない、負けん気の強いタイプの女性。

もしくは、不美人であるが為に損をしてきた人。

 

整形はいいと思います。

ガンガン整形して、幸せを手に入れて欲しいと思います。

 

男は美人が大好きですから、恋愛も前よりイージーモードでしょうし、

社会生活も円滑かと思います。そして美人っていいな得だなと

多分思われると思います。美人のいい面です。享受してください。

 

けどね、それ意外の一面もねあるんです。

美は価値ですから、アンチが生まれないとおかしいんです。

それがないなら、あなたは整形して偏差値50-60になっただけです。

偏差値70ではありません。はい。

 

…とね、ほら、こういうね。

とってもつまらない。

下らないことを言いたくなってしまうんですね。

 

アイデンティティが美に宿るのは恐ろしいです。

書いてて自分で自分に吐き気がしてきます。

 

 

アイデンティティは、自分で勝ち取ったもの、

自分で努力して築いていくものなんじゃないかな

とアラサーになって思うようになりました。

 

 

 

年取ればみんなしわくちゃ。

そろそろ「美人」を上がりたいな。

 

 

美人であるとか、不美人であるとか、

天然であるとか、整形であるとか、

そんなつまらないことに脳みそ割いてないでね

活き活き生きてるひと、山程いらっしゃいますからね。素敵です。

 

 

私も、美に執着しているあなたも。

 

美は道具。

ほどほど、に利用して

 

実のある人間に、

なれますように。。。